PROFILE
2019年12月27日、診察室に入ってきた先生は、レントゲンを見るなり10秒もたたずにこう言った。
「うーん、これはほぼ乳ガンに間違いないね」
もちろん、その予感はあった。
あったけど…、本当にガンだとはやっぱり考えてなかった、ううん、本当は考えたくなかったから向き合ってなかっただけだったかもしれない。
追加の検査のために椅子から立ち上がったけど、貧血起こして倒れてそこからしばらく記憶がない。。。
そしてこの日から8か月の闘病生活が始まりました。
でも今振り返ると、この乳ガンという病気がきっかけで、自分の生き方や考え方が間違っていたことに、やっと気づき始めることができて、またそこから、次の人生が動き出したんだと思う…。
こんにちは!
京香(@kigyou_coach_kyouka)です。
スペック
・名前:京香(KYOUKA) ・職業:フリーランスから経営者へ ・年代:50代 ・性別:女性 ・出身:京都生まれ、京都育ち、京都在住 ・趣味:旅行、ワイン、グルメ、ヨガ、スロージョグ、オシャレに関すること、インターネット ・直近の目標:フリーランスから会社経営者になること |
学生時代
封建的な家庭で育つ
10歳の時に、祖父母と同居することになり、妹、弟、両親の5人家族から7人家族へ。
同居した家の隣や向かい、近所に父方の妹たち(私でいうと3叔母家族)が住んでいたので、毎週末になるとみんなでご飯をたべたり、しょっちゅう、客人が滞在するというにぎやかな家庭で育ちました。
一方で、封建的な家庭で、たとえば、父や祖父母が席に座るまでご飯が食べれなかったり、高級食材のメニュー(松茸とかカニとか^^;)はこどもにはメニューが違ってたり、学校から帰ったらまず祖父母の部屋にいって挨拶しなければいけなかったり…としつけも厳しくて、
父の口癖は「女らしくしなさい」「おしとやかにしなさい」
母の口癖は「公務員と結婚しなさい」「女は男に食べさせてもらうもの」「女は男の一歩後ろに下がって支えるのが幸せな生き方」
と言われ続けて育ったので、成人になるころにはすっかり、依存体質な京香になっていたのでした。苦笑
ひたすら熱中したクラブ活動で成果が出ず終了
叔父の勧めで小学校5年生の時にはじめたソフトボールに熱中し、中高時代は、ひたすらクラブ活動に励んでいました。
中学でソフトボール部に入部してからは、ピッチャーになりたくて、毎朝4時半に起きて近所の公園で、1人で練習してから朝練に行って、放課後はクラブ活動と、毎日、ソフトボール漬け。
おかげで、中学1年からメンバー入りができて、高校はスポーツ推薦で入り、高校卒業後は実業団へのお話もあるほど熱中していたけど、ソフトボールは団体競技なので、個人がどんなに頑張っても欲しい結果が得られるわけではない。
結局、7年以上、ひたすら全精力を注ぎ込んだけれど、悔しい思い出の方が多かったまま、高校3年で引退することにしたのでした。
この時に、「努力をしても報われるとは限らない」とつくづく思いました。
20代~30代
華やかなバブル時代を謳歌
学生時代からOL時代にかけては、時代はまだバブル期の終焉の頃で、花金、3高、メッシーくん、アッシーくんと(分かる人にはわかるよね。笑)毎日、遊んでおごってもらえる生活。
「女は男に養ってもらうもの」と教え込まれて育ったから、当時はいかに、イイ男を捕まえて早く結婚して専業主婦になれるれるか?ばかり考えていた気がします。爆
自分のキャリアを積むとか、1mmも考えたこともなかった。苦笑
そしてその通りの男を見つけて、22歳で結婚し神戸の芦屋で結婚生活がスタートします。
1度目の結婚
22歳の私と25歳の彼で結婚した当時の家賃は、芦屋で30万オーバー。週末になると、ホテルオークラのフレンチで食べて、ワインを開けて、平日は、元町や三宮をぶらぶら買い物三昧。
絵にかいたようなバブリーな生活を謳歌しながら、心の底では、「こんな生活永遠に続くはずがない」ってずっと思っていました。仲が良かったのに旦那さんを見ながら、「この人と年を取っても一緒に生きているイメージがわかない」とも。
結果どうなったか?
ビジネスパートナーに裏切られた旦那さんが、過呼吸→適応障害→うつになり、DVがはじまり、愛人問題、愛人の子ども発覚、事業失敗、投資失敗と、ジェットコースターのように悪夢が押し寄せてきて、気が付いたら、騙されて離婚することに。
9年で1回目の結婚生活は、ジ・エンド。^^;
2度目の結婚
離婚したときに、自分は何も持っていないことに愕然としました。
30代に入ろうとしてるのに、お金もキャリアも経験も何も持っていない自分。
それでもまだ、私は子供のころに教育された通りの「女は男に養ってもらうのが幸せ」なんだと信じていました。
だから、次どう考えたのかというと、
「早く、良い再婚相手を見つけて子供が欲しい。今度は、親の言う通り、高収入でなくても公務員のような安定した人と結婚しよう」
って思ったんです。笑
36歳で会社員に戻れるラストチャンスだと決意
40代~
フリーランスの存在
依存体質のままフリーランスへ
放っておいたしこり
とにかく病院嫌いで、いやなことは後回しにしがちな性格なので、
「??なんか右と左の胸に違いがある?」
って感じてもすぐには病院に行こうとはしませんでした。
「大したことない」「気のせいだ」
って、いやなことに蓋をしてここでも向き合おうとしなかったんです。
でも、2019年の秋に、しこりが急激に大きくなった気がして、さすがに「これはマズイ」と思いました。
そして、どこも予約でいっぱいの乳腺外科に、1枠だけキャンセルで空いていた12月27日の年末最終日に予約が取れて、はじめて受診したんです。
そして、はじめにマンモグラフィー撮って、診察室に入って、先生が撮影した胸の写真を見た瞬間、
「おそらくこれはガンやね」
と衝撃のガン宣告。
人に裏切られたり、DV、愛人や愛人の子ども、事業破綻、借金問題、離婚、再婚…と、まあいろいろあったけど、やっぱり、命に直結しているガン宣告は、人生の中で一番ショッキングでした。
「もしかして私は死ぬの?」
そう思ったから。
8か月の闘病生活
2018年12月27日にガン宣告を受けて、先生に言われたのが
「しこりから出血してるから、急に大きくなったように感じる。早めに手術した方がいい、すぐだけど正月明けの1月4日なら手術できるけどどうする?」と。
もちろん「します」といいました。
そして、正月から入院して手術。
「手術してみないとリンパにまで飛んでるかはわからない、飛んでいれば抗がん剤治療などの長期治療が必要です」
と言われました。結果、リンパに飛んでいて、抗がん剤と放射線治療決定><
長期間の治療が始まります。
恐怖の抗がん剤治療
当時の私の抗がん剤治療のイメージって、いつぞや?の百恵ちゃんのドラマのままで
「吐いて吐いて毎日苦しくてたまらない」だったり、
「髪の毛をつかんだらごそっと抜けてしまい、1~2年はかつら生活」だったんですね。
だから、とにかくこれから変わっていくだろう自分に恐怖でいっぱいでした。
でも実際は全く違ったんですよね。(もちろん、人やどんな抗がん剤かにもよって違うと思います)
私の場合は、抗がん剤治療で「しんどい」「つらい」「吐き気」とか一度もなかった、あったのは眠気だけ。苦笑
なので、ほとんど投与中は寝ていました。起きたら終わってるって感じでしたね。
髪の毛も、徐々に抜けては行きましたが、通っていた病院が抜け毛予防にも取り組んでいたので、ごそっとぬけてしまうようなことはなかったので、なんとか、かつらをつけずに終わることができました。
再発の心配
手術は成功して、抗がん剤や放射線、ホルモン治療も全部やってるけれど、だからといって、完治したのかというと、がんの場合は再発の心配がありますよね。
とにかく10年はホルモン治療をしながら経過観察を続けていきます。
私は、今では普段、再発の恐怖に怯えるとか心配するとかはほとんどありません。
定期的に通う病院の診察室に入るとき「もし再発って言われたら…」ってちらっと思うくらい。
そんなに気楽にいられるのは、8か月の闘病生活の間ずっとひたすら模索しつづけて、考え抜いて見つけた私なりの
「私が乳がんになった意味」
の答えを見つけたからです。
病気になった意味
同じような経験をしたことがある方なら、同じような考えに行きつく人も多いのではないでしょうか?
私は乳がんになってから、
「なんで私は乳がんになってしまったのか?」
をひたすら考えました。
「ガンの家系だから?」
「ワインの飲みすぎ?」
もちろん、それもあるかもしれません。
でも、ネットで調べたり本を読んだりして、行きついた答えは一言でいうと、
「神様からの生き方が間違ってるよという修正のお知らせ」だったと思っています。
本当はもっと、その前にいろんなお知らせがあったはず。でも、それを全部スルーして、自分らしくない、自分を大切せず、人に依存する生き方をしつづけた。
結果、こんな大きな病気になるまで気が付けなかったんだと思います。
逆に言えば、乳がんになったおかげで気づけたことがたくさんあって、そのころから、自分自身のことを考えたり、今までの考え方をやめる必要があることに気づけるようになったんです。
50代~
生き方の修正
だからといって、子供のころからずっと根付いてしまっている常識や考え方、生き方を、「はい、変わります!」といってもそんなに簡単に変われるもんじゃないですよね。
なので、私の感覚としてはここ数年で徐々にいろんなことに気づいて修正してる途中だなと感じています。
いろんなことを頑張っても上手くいかなかったのは、他人軸の生き方だったり、依存した考えだったり、物事に対しての向き合い方だったり、生きる覚悟だったりと、間違っているものがたくさんありました。
また、自分自身を大事にせず、ちゃんと見てあげることなく生きてきた。
だから、起業しても上手くも長くも続かなかったんですよね。
ここ最近は、そんなことを日々、意識したり気づかせてもらいながら自分の変化を実感できてきています。
これからの生き方
「自分らしく生きよう!」
最近あちことでよく言われますよね。でも「自分らしいってなに?」って言われる人も多いです。
私も「自分らしい」って何なんだろうってずっと思ってきました。
「頑張らなくていいよ」と言われれば、じゃあ好きなことしようって、なんとなくダラダラして過ごしてみたり、「ストレスはだめだ」って思えば、自分に合う人とだけ付き合おうとしたりして、確かに、毎日穏やかに暮らせるようになりました。
イライラもしなくなったし、怒らなくなった。
自分は幸せ者だって思えるし、毎日、ぽかぽか穏やか。^^
でもね、、、
「それでいいのか?」って聞かれたら、
私の場合は「………」なんですよね…苦笑
今までの人生を振り返ってみても、私って、とても欲張りなんです。
欲しいものもたくさんあるし、行きたいところも体験したいこともまだまだいっぱいある。
でも、私たちが生きているこの世の中は、欲しいものや行きたいところへ行くには、お金と時間が必要です。
それらを手に入れるためには、まだまだ自分が持っている不要な考え方やマインドを手放して成長する必要があって、それには、勇気が必要だってこと。
欲しいものや手に入れたいものは自分の手で手に入れるんだという覚悟をもって行動する必要があること。
人生半分もかかって、やっとここまで気づけました。笑
このブログが目指す未来
このブログが目指すのは、
「女性が自立心をもって、ずっと幸せを感じながら自由に生きることができる世の中を創ることを後押しをするブログ」
です。
本来、私たちって自由で幸せであるのが前提のはずなのに、いろんなものを背負って生きてきてしまっていて、がんじがらめの状態になっている人たちがあまりにも多いと感じています。
そして、今、多くの人がそのことに気づき始めてるとも思います。
私たちが住んでいるこの世の中では、やりたいことをやるためには、自由に生きるためには、自立した考え方が必要で、お金が必要で、行動できる勇気が必要です。
私ももちろん、その生き方に変革中です^^
投資しながら試行錯誤してきたこと、尊敬する人たちから教わった教え、成幸するために必要な考え方やマインド、お金のことを、惜しみなく発信していきます。
共感してくれた方は、ぜひ一緒に、自立した自分の人生を創りましょ\^^/
応援、よろしくお願いいたします。